20210903

※前回の記事で間違えてルツの義理母ナオミを、イエスの翼の方の象徴持ちと書き、ルツに訂正しました。ナオミは御父の翼の方の象徴持ちです。


主の言葉が再びヨナに臨んだ。
「さあ、大いなる都ニネベに行って、私がお前に語る言葉を告げよ。」
ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。
ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。
ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。
「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
この事がニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。
「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。
 食べる事も、水を飲む事も禁ずる。
 人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。
 おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。
 そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」
神は彼らの業、彼らが悪の道を離れた事を御覧になり、思い直され、宣告した災いを下すのを止められた。
(ヨナ書3章)


~何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。
イエスはお答えになった。
「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしの他には、しるしは与えられない。
 つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいる事になる。
 ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。
 ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。
『ここに、ヨナに優るものがある(最初にヨナは主の言葉から逃亡した為)。』
 また、南の国の女王は裁きの時、今の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。
 この女王はソロモンの知恵を聞く為に、地の果てから来たからである。
 ここに、ソロモンに優るものがある(神の秤の法則)。」
(マタイ福音書12章38~42行)


ニネベの町の聖霊が何者なのかは分かりませんが、ニネベの王も民もよく受け入れ改心したものです。
ルシフェルの管理領域内の都ですから、なおさら驚きです。
イエスにより、既に裁きの時の確約をニネベの民は得ていますから、コラジン、ベトサイダ、カファルナウムとの違いが大きすぎて、その御心を知る事は難しいですね。
取り返しのつかない事ですから。


ニネベの民は、最初の報せで改心した為に、預言者ヨナに優っていると祝福されてすます。
また南の国の女王は、ソロモンとソロモンが仕える神を信じて、地の果てから知恵を賜りに来て、その姿勢と危険も顧みない渇望に、ソロモンに優る信仰の強さを祝福されています。
同じように、八陽火の開示から、八陽火に優る祝福を得る事は、全く隠されてはいません。
大人に成長するに従い、実践が難しくなり見失ってしまう、幼子のような受け取りが出来れば、神の秤は八陽火が真理を得た時よりも、対価を大きく計上してくれるはずです。


「天の国は次のようにたとえられる。
 ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇う為に、夜明けに出かけていった。
 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
 ~17時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
 最初(朝9時)に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。
 しかし、彼らも一デナリオンであった。
 それで、受け取ると、主人に不平を言った。
『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。
 まる一日、暑い中を辛抱して働いた私たちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
 主人はその一人に答えた。
『友よ、あなたに不当な事はしていない。
 あなたは私と一デナリオンの約束をしたではないか。
 自分の分を受け取って帰りなさい。
 私はこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないのか。
 それとも、私の気前の良さを妬むのか。』
 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
(マタイ福音書20章1~16行)


永遠の命である命の木の実一個が一デナリオンです。
二個三個のおかわりに、意味はありません。
ただ、ギリギリまでいばらの道を回避してから、受け取る方がお得だなどと、退けられる計算に心を奪われない事です。
善悪の知識の木の実は、このイメージを送って来ますから。
アーメン