20220613

今日は自分が見た天気予報が、思いっきりハズレました。

午後3時位から降ると思ってましたが、朝の通勤時から降っており、一日中カッパを着ての勤務でした。

暑かったですが、今日はまだマシでしたね。

いずれスコール級も経験するでしょうから、今からトランシーバーの濡れと、メガネの濡れ対策を、考えていなければなりません。


それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。

「コラジン、お前は不幸だ。

ベトサイダ、お前は不幸だ。

お前たちの所で行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたに違いない。

しかし、言っておく。

裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちより軽い罰で済む。

また、カファルナウム、お前は、天まで上げられるとでも思っているのか。

陰府にまで落とされるのだ。

お前の所でなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったに違いない。

しかし、言っておく。

裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

(マタイ福音書11章20~24行)


この終末に、淫婦バビロンと黙示録の中で称される都の罪が、頂点に達して裁かれます(ヨハネ黙示録18章)。

大バビロンは地上に出現した都で、最も主に退けられます。

そしてその大バビロンに続く都たちが、コラジン、ベトサイダ、カファルナウムです。

イエスが訪れ奇跡が行われても、イエスを退けたからです。

ティルスやシドンは、イエスとその証しを知りませんから、必然的にコラジン、ベトサイダ、カファルナウムより、罪は軽くなります。

ですがエルサレムの背信は清められ、大バビロンたちは退けられる所には、人の目線では分かりにくい判断の御心に、目が開かれなければなりません。。


彼(御使い)は言った。

「~今、私はペルシアの天使長と戦う為に帰る。

私が去るとすぐギリシアの天使長が現れるであろう。

しかし、真理の書に記されている事をお前に教えよう。

お前たちの天使長ミカエル(イスラエル)の他に、これらに対して私を助ける者はないのだ。~」

(ダニエル書10章20、21行)


空間内の御使いたちには、国や町や民族や家族の、守護を担当する方々がいます。

また旧約聖書で、主に退けられる民族や町は寝ずの番人たちが担当しています。

家族レベルではヨブ記冒頭で、ヨブとその家族をサタン(寝ずの番人)が担当した為に、サタンの自由意思の職務スタイルから、強烈な信仰の試しに晒され苦難に落とされました。

そしてイエスとその奇跡を退け、イエスの逆鱗に触れたコラジン、ベトサイダ、カファルナウムも、寝ずの番人とその闇聖霊の担当する都です。

寝ずの番人はイエスを玉座の王として認めず、御父に成り代わろうとしたルシフェル(イザヤ書14章13行)を王として担いでますから、イエスにおいては当たり前の結果です。

ゆえに強くイエスを拒絶した町の為に、イエスも返す刀で同じように退けています。

これは真の遣いたちに起こる現象であり、その為に弟子たちにもイエスはハッキリと予告されました(マタイ福音書10章5~15行)。

この空間内の者たち絡みの法則があるからこそ、本物の主の遣いの仕事が宗教活動となりメジャーを目指す事など、絶対にないのです。


~イエスは群衆と弟子たちにお話になった。

「~律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。~」

(マタイ福音書23章1~36行)


律法学者とファリサイ派を、イエスが何度も非難している箇所です。

彼らがイエスを救世主と認めず退けてるからですが、これは彼らの姿勢と判断が寝ずの番人たちと全く同じ行為に当たる為です。

イエスの奇跡を目の当たりにしても、イエスを拒絶したのですから、コラジン、ベトサイダ、カファルナウムを担当する寝ずの番人や闇聖霊と同じ判断です。

人間の中にも寝ずの番人や闇聖霊と化してる者たちは、実在しているのです。


「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集める(聖霊の翼の下)ように、私はお前の子らを何度集めようとした事か。

だが、お前たち(哀歌)は応じようとしなかった。

見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。

言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』(聖霊の祝福)と言う時まで、今から後、決して私を見る事がない。」

(マタイ福音書23章37~39行)


主はエルサレムと契約を結ばれています。

ゆえに何度も御手をのばされました。

ですが何度となく外国の侵略と捕囚にあい、エルサレムは外国担当の寝ずの番人たちと闇聖霊たちに、振り回されました。

エルサレムの象徴持ちであるマグダラのマリアに、七つの悪霊である闇の燭台の象徴が入ったのも、この報せを表すためです。

イエスが逆鱗をもって律法学者とファリサイ派を退けられたように、人は寝ずの番人の誘惑を退けなければならず、間違っても受け入れて闇の燭台に集ってはなりません。

聖書を知りイエスを信仰していると自称している者たちすら、彼らは簡単に闇の燭台に集めてしまうのですから。

目が開かれてない人は、上位存在のその脅威を、ヨブ記から学ぶ力がありません。

都合さえ良ければ光と闇をブレンドし、自由意思で良いとこ取りしよう等と、導かれない事です。

寝ずの番人には、数千年における見張りの経験がありますから、逆手にとってやろう等と考えた時点で、誘惑を受け入れ負けているのですから。


大きなエルサレムの罪すら、主は清める事が出来ます。

ですから光にだけ寄り添い寄り頼み、律法学者やファリサイ派たちのような宗教者レベルに成らないようにしましょう。

アーメン