20220607
今日は疲れました。
初日以来の駐車場の満車となり、公道にも列ができました。
車と渡る人と自転車の行き来で、ウンザリです。
一人一人の判断がバラバラですから、安全第一とスムーズな流れ作りの交通誘導は、本当にイライラ無しでは出来ません。
ですが、信仰もこの通りでしょうから、信号でコントロールする様なことを考えるのは、全くのお門違いでしょう。
本当に人間の多様性を思い知らされます。
ボアズはそこで、長老とすべての民に言った。
「あなた方は、今日、私がエリメレクとキルヨンとマフロンの遺産をことごとくナオミの手から買い取った事の証人になったのです。
また、私はマフロンの妻であったモアブの婦人ルツも引き取って妻とします。~」
~ボアズはこうしてルツをめとったので、ルツはボアズの妻となり、ボアズは彼女の所に入った。
主が身ごもらせたので、ルツは男の子を産んだ。
~ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てた。
~その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた。
オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。
(ルツ記4章9~17行)
ルツは御父の翼の御方の象徴持ち、ナオミはイエスの翼の御方の象徴持ちと、聖書開封では開示しています。
ゆえにルツが、ダビデからイエスに繋がる子を産んだ事は、象徴の力であり不思議でもなく、印しの系譜の始まりとなりました。
ですが主の警告は生きており、それがエルサレムの罪に繋がる事となります。
ソロモン王はファラオの娘の他にもモアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。
これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、「あなた達は彼らの中に入って行ってはならない。彼らをあなた達の中に入れてはならない。彼らは必ずあなた達の心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してその虜となった。
彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。
この妻たちが彼の心を迷わせた。
(列王記上11章1~3行)
エルサレムがソロモンによって栄華を極め、主の怒りを買いました。
なにゆえ、独りで座っているのか、人に溢れていたこの都(エルサレム)が。
やもめとなってしまったのか、多くの民の女王であったこの都が。
奴隷となってしまったのか、国々の姫君であった都が。
~主は正しい。私が主の口に背いたのだ。
聞け、諸国の民よ。
見よ、私の痛みを。
私の乙女らも若者らも、捕えられ引かれて行った。
私は愛した人々に呼びかけたが、皆、私を裏切った。
(哀歌1章)
『主よ、あなたはとこしえにいまし、代々に続く御座にいます方。』
なぜ、いつまでも私たちを忘れ、果てしなく見捨てておかれるのですか。
主よ、御もとに帰らせてください。
私たちは帰ります。
私たちの日々を新しくして、昔のようにしてください。
あなたは激しく憤り、私たちを全く見捨てられました。
(哀歌5章19~22行)
エルサレムの栄光は朽ち果て、御国から退けられた民たちの報せです。
エルサレムの罪が頂点に達した為の、結果です。
イエスは週の初めの日の朝早く復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。
このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。
(マルコ福音書16章9行)
イエスの翼の御方の象徴持ちであったマグダラのマリアは、エルサレムの象徴持ちでもありますから、七つの悪霊という闇の燭台を示すものたちに入られ、苦しめられました。
哀歌にあるエルサレムの苦しみです。
ですが生誕されたイエスが、自ら浄め、その罪も背負って十字架で精算されました。
ゆえにイエスの翼の御方は、イエスの昇天後に、清められて聖霊降臨されました。
そしてイエスに選ばれた新しい乙女と若者たちを、祝福されました。
対価の支払いを退けなければ、罪は取り除かれる証しです。
太陽が、これを報せるのが御心と伺えました。
アーメン
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