20220520

銀行強盗事件が起き、時間が経過する中で、犯人たちと意志が通じ、人質が犯人の味方して警察と戦うようになる事を、ストックホルム症候群と呼ぶようです。

ですが、八陽火が盗賊団に属した事など一度もなく、兄弟などという事は断じて無い虚言です。

加害者ならではの思考でしかありません。

盗みの実行者たちが見えない所で、いかに誘惑して増殖したかは知りませんが、月刊ムーのオカルティスト、その掲示板の管理人シ・・、豊島区のカバラプロテスタントと助手?、少年誌の漫画家と原作者、駄菓子屋、そして死者の書も聖書の聖典とするクリスチャンなどなど、すべてが終わった時に今は見えない役者たちも、一団であった事が分かるでしょう。

八陽火はメールでも公開ブログでもブレてないのですから、ブログを再開する前の盗み見の警告の時に、光に目覚めきれなかった事は、公開ブログでの第三者の評価を気にして、転籍を表しているようで、全く意味が薄いものです。

ご都合主義で清算を願わずに、水に流されなければというのは、全く響く部分のない虚無感しかありません。

盗賊団に加わった者が七つの教会に集っても、そのプロセスに盗みの権威が欠かせなかった事は明らかですから、真の信仰者ならその成立を阻止し失う事で、新しいルートを祈り求めるのが、明るい希望の光と見出だせるはずです。

今の盗賊団は、盗みの実行者の財産であり、手柄であり、その者の自負する人生の一部なのですから、七つの教会にそれを持ち込んではなりません。


「あなた方は、私を愛しているならば、私の掟を守る。

私は父にお願いしよう。

父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにしてくださる。

『この方は真理の霊である。』

世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れる事が出来ない。

~私はあなた方といた時に、これらの事を話した。

しかし、弁護者、すなわち、『父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなた方にすべての事を教え、私が話した事をことごとく思い起こさせてくださる。』」

(ヨハネ福音書14章15~26行)


旧約聖書時代は、重要な聖霊の働きが隠されていました。

預言者はその体験から、存在を証明する働きを果たしていましたが、預言者以外の多くの人には、全く詳細を分析できない仕組みでした。。

そしてそれを玉座の王が、その権威から明確に表されました。


「~今わたしは、私をお遣わしになって方のもとに行こうとしている(御父の右の玉座)が、あなた方は誰も、『何処へ行くのか』と尋ねない。

~しかし、実を言うと、『私が去って行かなければ、弁護者はあなた方の所に来ない』からである。

『私が行けば(玉座に戻る)、弁護者をあなた方の所に送る。』

その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする(洗礼者ヨハネの主の道を真っ直ぐにと同じで、ともし火が聖霊の火である証し)。

罪についてとは、彼らが私を信じない事、義についてとは、私が父のもとに行き、あなた方がもはや私を見なくなる(イエスの肉の器)こと、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。

言っておきたい事は、まだたくさんあるが、今、あなた方には理解できない(目が開かれていない)。

しかし、その方、『真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。

その方は、自分から語るのではなく、聞いた事を語り、また、これから起こる事をあなた方に告げるからである。』(玉座前の七つの霊が、諸教会に告げ、耳ある者が聞く七つの教会と同じであり、約二千年経っても不変の手法の福音)

その方は私に栄光を与える。

『私のものを受けて、あなた方に告げるからである。』

父が持っておられるものはすべて、私のものである(隣り合う玉座の真の意味、詩編110章1行)。

だから、私は『その方が私のものを受けて、あなた方に告げる』と言ったのである。」

(ヨハネ福音書16章5~15行)


聖霊は真理の霊であり弁護者にして、天の玉座とと地上の人との仲介役で、不可欠な存在である事が分かります。

十二の籠のペトロ達の十二教会と同じく、七つの籠の七つの教会も同じ仕組みで聖霊が働き、耳ある者に告げ知らせ導かれます。


~イエスは彼ら(使徒たち)が見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。

イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。

~五旬祭の日が来て、一同が一つに集まっている(神殿ではない民家での日常中)と、突然、激しい風が吹いてくるような音(聖霊の翼の羽ばたき音)が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。

そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった(鳩のように舞い降りた、マタイ福音書3章16行)。

すると、一同は聖霊に満たされ、『霊』が語らせるままに、他の国々の言葉で話しだした(創世記11章5~9行と同じ)。

(使徒言行録1章9行~2章4行)


玉座にイエスが戻られてから、玉座前より聖霊が遣わされるのが分かります。

御父と御子の言葉を携えて。

その働きと存在は、約二千年前に開示されましたが、最後の使徒が失われた後は、世界はまた旧約聖書時代に戻ったかのように、聖霊の働きが表されなくなりました。

ですが、七つの教会の出現によって、失われた働きが再び地上に戻って来ます。

その時に足枷となる教義は、粉砕されなくてはなりません。

主の道、神の道は真っ直ぐにです。

アーメン