20220505
二つの新しいヘルメットと、悪戦苦闘中の八陽火です。
昨日は阿蘇に行きましたが、酷い渋滞で草千里までも行けませんでした。
車がかなり多く、こうなると125CCのスクーターでは煽られますから、リフレッシュは難しいです。
それにしても新型コロナ以降、本当に人々の生活スタイルが変わったからなのか、休日の阿蘇は混むようになりました。
こうなると平日休みがある勤務が懐かしいですが、明日の区役所は平常運転である事を願うばかりです。
~イエスはガリラヤを巡っておられた。
ユダヤ人が殺そうと狙っていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。
ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。
イエス(御父の子)の兄弟たち(ヨセフの子ら)が言った。
「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。
公にしられようとしながら、密かに行動するような人はいない。
こういう事をしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」
兄弟たちも、(長男)イエスを信じていなかったのである。
そこで、イエスは言われた。
「私の時(御子の運命)はまだ来ていない。
しかし、あなた方の時(普通の人たち)はいつも備えられている。
世はあなた方を憎む事が出来ないが、私を憎んでいる。
私が、世の行っている業は悪いと証ししているからだ。
あなた方は祭りに上って行くがよい。
私はこの祭りには上って行かない。
まだ、私の時が来ていないからである。」
こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。
(ヨハネ福音書7章1~9行)
イエスの父違いの肉の兄弟たちは、生活を小さい時から一緒にしていても、イエスの言葉を理解出来ていませんでした。
血統の肉の絆は、見えない魂の霊統の写しを示す象徴に過ぎませんから、肉の兄弟なだけでは御子の恩恵を受けれませんので、当たり前です。
イエスの肉の兄弟たちが、イエスの処刑時にいなかったのも、仕方ない事実です。
最も母マリアに関しては、自ら身に覚えの無い奇跡を体験していた事と、御父の翼の方の象徴持ちであった事から、復活後にも最初に出会えるまでの栄光を賜れました。
イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。
(マタイ福音書13章57、58行)
イエスの肉の兄弟に生まれた事を、兄弟たちは選ばれたチャンスに出来ず、自由意思で退きました。
血統が霊統に劣る以上、覆せない印しの成立です。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人(イエス)は主の前に育った。
見る面影はなく(玉座の姿とは別人)、輝かしい風格も、好ましい容姿もない(エゼキエル書28章11行。ルシフェルの価値観否定の為の戦略)。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。
彼は私たちに顔を隠し(マタイ福音書9章30行、16章20行)、私たちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれた(ヨハネ福音書19章34行)のは、私たちの背きの為であり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちは癒された。
私たちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
その私たちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。
(イザヤ書53章1~6行)
過去記事でも解釈した、イエスに関する預言です。
イエスは宗教家のように活動するつもりもなく、30才までその御霊を秘めて人生をおくられ、使命に導かれて遅くも早くもなく立ち上がられました。
玉座の御姿である復活した時の真の御姿は隠され、見映えを重んじるルシフェルの価値観を否定する為に、目立たない肉の器で生誕されました。
これには人が持つ善悪の知識の木の実の効力(創世記3章6行)との戦いも含まれる為の、報せとして平凡な容姿を受けられています(サムエル記上16章7行)。
肉の目に名刺を出していないスタイルは、人々にとっては「御子はわざと躓かされるイジワルな方」と思われるかもしれませんが、美しく魅せる知識の実とルシフェルの価値観ゆえに、イエスは徹頭徹尾戦われますから、人が真に大事な事に目覚めなければ、ただただ退けられるだけです。
「狭い門から入りなさい。
滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も狭いことか。
それを見いだす者は少ない。」
(マタイ福音書7章13、14行)
聖書は宗教利用には、全く向いていません。
今回の記事に触れても、自分たちなら上手く大きなうねりに出来ると思うなら、それは善悪の知識の木の実の誘導に、負けてしまっているだけです。
光の聖霊や御使いを、手伝わせるほどの選択で呼び寄せる者が、幸いです。
退ける選択から、目を覚ましましょう。
アーメン
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