聖なる聖霊の翼

主は言われた。

「立って彼に油をなさい。

これがその人だ。」

サムエルは油の入った角を取りだし、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。

その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。

(サムエル記上16章12、13行)


さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられた時、一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。

(マタイ福音書26章6、7行)


過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。

そこには、イエスが死者の中から甦らせたラザロがいた。

イエスの為にそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。

ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。

その時、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪で足をぬぐった。

家は香油の香りでいっぱいになった。

(ヨハネ福音書12章1~3行)


イエスが生誕される前は、油注ぎは光の御使い候補が行ってました。

油は御霊の象徴ですが、現在の科学でもエクストラヴァージンオリーブオイルが、強い心臓を維持する事に有効である事が分かっており、テレビでその情報に触れた事がある方もいると思います。

レビ記に命は血に宿っており、食してはならないと主の言葉があり、オリーブ油に主のメッセージが隠されてる事を感じられます。

ゆえにオリーブの木についても、聖書では聖なる見方がされてるのでしょう。

その油注ぎが、イエスの時には光の御使い候補から、イエスの翼の方の象徴を持つマグダラのマリアに変わってます。

聖霊情報解放から、正式に光の聖霊候補に役目が解禁された瞬間です。


「~私は御父にお願いしよう。

御父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいる様にして下さる。

この方は真理の霊である。

世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れる事が出来ない。~」

(ヨハネ福音書14章16、17行)


「~だから、言っておく。

人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも許されるが、霊に対する冒涜は赦されない。

人の子に言い逆らう者は赦される。

しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦される事がない。」

(マタイ福音書12章31、32行)


聖霊の存在と使命について、イエスが初めて情報を地上にもたらされました。

これをイエスが行えた理由は、光の御使い候補と寝ずの番人候補についてはイエスが裁定されますが、光の聖霊候補と闇の聖霊候補については、イエスの翼の方が裁定されるからです。

旧約聖書は、男神により男神の言葉で男神目線で溢れてます。

人口についても、成人男性主体で数えるのは、イエスが人の男性について責任を持たれてるからであり、女性については自身の翼の方が責任を負ってる為に出過ぎたまねをされないだけです。

ですから福音書において女性絡みですと、イエスは積極的には絡みに行かれず、地面に文字を書いて伺いながら解決を量っています。

これが知られていない為に、長い不幸な偏見の歴史に、今も繋がってますが・・・。

過剰に聖霊と女性の秘密が隠されてきたのは、翼が持つ権威と力が原因でしょう。

高い聖なるが求められる為にで、イエスの翼の方が過剰に厳しいとか包容力が無いとかではありません。

寝ずの番人も手に入れたがってる翼は、この暗い宇宙から太陽の存在の必要性が無い、光の宇宙(ヨハネ黙示録21章22行~)に行く事が出来ます。

翼が無ければ、御使いであっても行けませんから、翼の重要性が分かるはずです。

ゆえに男の道よりも女の道の方が霊的にはハードルが高くなる為に、強い情報統制の歴史となったと思われます。


今のこの終末、イエスの翼の方は闇の聖霊女王ラハブ(淫婦バビロン)と決着をつけ、夫婦のセラフィム化の為の千年王国の到来へと繋がれます。

八陽火の開示に鷲の報せを感じてもらえれば幸いです。

今回はここまで。

アーメン